発達障害とストレスチェック制度
2.1 症例 25 歳 男性
(中略)真面目に仕事をしているのに,なぜ叱責されたり,意地悪されたりするかの理由が思いつかなかった。対人関係での重圧に加えて,業務の多忙で自信を失い不眠がちとなり,気持ちが落ち込んでいった。
職場で受けたストレスチェックの結果は「高ストレス者」だった。上司や会社に不信感を持っていたので,さっそく産業医の面接指導を求めた。今までの経過を産業医に説明して,上司の態度や職場の改善を強く訴えた。「上司の態度は許せない。私だけ業務量が多いのは不満だ。減らして欲しい」。
彼の訴えは意外にも,あらかじめ上司から得ていた情報とでズレがあった。彼は上司から叱責された理由を理解してなかった。さらに業務量の多さは本人の作業効率の悪さが原因であり,同僚と比べて業務量は少ないくらいだった。職場での自分の働きぶりや言動が,職場や同僚にどのような迷惑をかけていたのか客観的に振り返ることはなかった。自覚しないまま,一方的に相手の非をあげつらっていた。上司からの情報をTable 5 で示した。
Table 5 上司からの情報
1 情報をため込み,適切な時期に送信しない |
事業や業務処理に最低限必要な情報は何なのか,重要性の程度を把握していない。そのため,職場内外の関係者に必要な情報を必要な時に,必要な相手に伝えることができなかった。 |
2 優先順位をつけられない |
どのような順番で処理すべきか優先度をつけること,どの程度の重要性で取り組むべきか判断すること,いつまでに処理すべきか,スケジュール管理ができなかった。 |
3 注意された内容が理解できない |
情報の伝達がうまくいかず,ミスが発生することが頻繁にあった。その後に,振り返りのミーティングを開いたが,その結果が次回に活かされない。終わってしまえば,途中のミスがどうあろうとも関係ないと考えているようだ。 |
4 落ち着きのなさ |
机の引き出しを,音を立てて押しこむ,PC のキーボードを,音を立てて叩く,離席が頻回,貧乏揺すり,ウロウロ歩く。イライラした行動で周囲の人を苛立たせても,迷惑をかけているとの反省はない。 |
こうした社員が産業医の面接指導を求める場合は少なくないだろう。上司や会社の態度に不満を抱き,改善を訴える場を求めているからだ。厚生労働省の指針には,産業医が適切な面接指導を行うために,事業者はあらかじめ社員の勤務状況や職場環境などの情報を提供すると書いてある。情報の真偽や裏付けなどを検討した後に,産業医は面接指導に入る。もし,情報や精神医学的知識を欠いたまま本人の主張を基に上司や会社の対応を求めると職場を混乱させる。今回の本誌特集は,ストレスチェック制度が職場に導入されるにあたり時機を得た内容である。
(中略)
メンタルヘルス不調のリスク要因を低減させ,働きやすい職場の実現をめざすために,産業医は職場と職員の間に立って,Table 6,7 のように調整をするのが重要な役割である。
Table 6 当事者本人への工夫の提案
1 今,何に困っているのか |
・特有の言動パターンによって以前から起こっていたのか。
・言動パターンに伴う二次的な問題(例えば異動後)ではないか。 |
2 まずは自己理解 |
・何が得意で,何が苦手か。
・どのような問題を抱えやすいのか。
・どのような特徴(行動,こだわりなど)があるのか。 |
3 次に,対処方法と環境調整 |
・今までどのように対処することができたか。
・どのような手助け(人,道具など)が役に立ったか。
・どのような環境だと働きやすいのか。 |
Table 7 職場の同僚への説明
1 まずは知識と理解 |
a 個人としての特徴と特性,対応策などを知る(例えば,指示はあいまいにせず具体的にひとつひとつ行う,急な変更をしない)。
b 本人は身勝手や配慮を欠く言動とは思っていないことを理解する。
c 本人を尊重し,人間としての尊厳を否定するような発言や扱いをしない(例えば,本人の言動に対して感情的にならず冷静に対応するなど)。 |
2 サポート資源と方法を探す |
a 職務内容の適性を吟味する(本人の得意な分野を伸ばす)。
b 本人の個性や持ち味に合わせた環境整備をする(例えば,複雑な対人スキルを要する職務は避ける)。
c 通訳となれる人(キーパーソン)をマッチングさせる。
d 問題が生じた際は,職場のみで抱え込まず産業保健スタッフや人事担当者,主治医,家族と連携する。 |
(以下略)
高ストレス者の選定と相談対応における産業看護職の役割
はじめに―<事例> ストレスチェック受検をためらうAさん
総合商社、欧米交易課の事務職Aさん(26歳/女性)は、ストレスチェックを受けるように産業医から連絡を受けました。Aさんは、チェックを受けるかどうか迷った末、まずは健康管理室の産業看護職に相談しました。
Aさん:残業続きで疲れていますが、ストレスとは感じません。自分のことは自分が一番わかっているつもりです。高ストレス者と判断されたら恥ずかしいし、仕事を取り上げられたら困ります。結果のせいでメンタルが弱いと決めつけられるのも嫌です。ストレスチェックは義務でもないし、面倒だからやめようと思っています。
産業看護職:ひたむきに働いていれば、ストレスは誰にもあるものです。ストレスチェックの目的のひとつは、自分のストレス状態に気づくことです。忙し過ぎて自分の状態に気づかないことは意外に多いので、心の疲れ具合を振り返るためにもチャレンジしてみてはいかがですか。この個人結果は上司や人事には知らされませんし、個人が特定できない形でまとめられるので、事業者がより良い職場をつくることにも役立つんですよ。
Aさん:そうですか。看護師さんがそこまで勧めるなら、やってみます。
ストレスチェックには、紙の調査票に記入する方法とインターネット上で入力する方法があります。質問は60項目程度で、それほど時間はかかりません。深く考えないで、ためらうことなくチェックするのがコツです。「正直にチェックしたら重要案件から外されてしまう」「上司にいじめられているから悪く入力して困らせよう」などと思っていると不正確な結果となります。
Aさんはインターネットの方法を選び、2週間後にはメールでストレスプロフィールが届きました。結果は意外にも高得点でしたが、これだけでは実際に高ストレス者であるともメンタル不調であるとも断定できません。相談窓口として健康相談室の連絡先が示されていたため、Aさんは、心細い思いで再び健康管理室に向かいました。
Aさん:これで私が高ストレス者だと会社全体に知れ渡ってしまいませんか。職場から排除されませんか。ストレスチェックなんて受けなければよかったと悔やんでいます。
産業看護職:ずいぶん落ち込んでいますね。頑張って働いている方が高得点になるのは、よくあることです。厳しい職場環境では、おおよそ社員の10~20人に1人は高ストレス者がいますが、高ストレス者のすべてが病気というわけではありません。また、この制度には守秘義務があるので、社内に知れ渡ることもありませんし、職場で不利益な処遇を受けないように法律が守ってくれます。ご心配はいりませんよ。Aさんの場合は、ストレスチェックの得点と今の働いている状況から、就業上の措置が必要だと考えられますので、高ストレス者として産業医の面接指導を受けるようお勧めします。健康で安心して働けるように、医学に基づいた指導が受けられますよ。同時に、事業者へは改善のための提案もしてくれます。
Aさん:わかりました。勇気を出して面接指導を申し込んでみます。
ストレスチェックを利用した自己チェックの意義
近年、自分の健康は自分でつくる、積極的で主体的な健康づくりが進んでいます。自分のストレス状態を客観的に知ることは、自分で適切な健康増進の方法を選び、試みることに役立ちます。しかしストレスチェックは事業者に実施義務があるものの、職員に受検義務はありません。そこで、産業看護職がストレスチェック制度の趣旨をわかりやすく説明することで、任意である職員の受検率を高めることに貢献できます。
たとえば、こんな説明が効果的です。証明写真を撮ったとき、予想通りの顔になっているでしょうか。思った以上に明るく元気な表情であれば幸いですが、実物以上によく写ることはなかなかありません。写真を通して自分を客観的に見ると、「意外に緊張している」「疲れた顔だ」「年齢を隠せなくなったな」など、思いはいろいろではないでしょうか。若々しくハツラツとしたかつての自分が今もそのままだという幻想が消えてしまいそうで、写真でさえありのままの自分を認めることがつらいときもあると思います。ここで「今まで頑張ってきたけれど、もう無理はできないなあ。これからは体をいたわってあげよう」といった気付きが得られます。これは証明写真による気づきですが、ストレスチェックでも同じように自分を客観的に見る機会が得られます。
では、ストレスチェックで故意に、または無意識に歪められた回答をしている場合はどうでしょう。証明写真では、たっぷりお化粧して意図的に明るい自分を装うことができますね。証明写真を見て「お化粧をがんばるとこのくらいね」と思うように、ストレスプロフィールを見て「元気な自分を装っているから結果は低ストレス者だったけれど、実は消耗しているかもしれない」といったように、歪められた回答からでも気づきを得ることができます。
(以下略)
出典元:(株)メディカ出版 産業保健と看護 2016年8巻1号 26~27ページより抜粋
(第56回日本人間ドック学会学術大会)
"ストレスチェック制度導入間近
産業医の役割は職場と従業員の調整役"
労働者のメンタルヘルス不調の予防を目的とした新たな対策として,「ストレスチェック」を導入する改正労働安全衛生法が今年(2015年)12月から施行される。赤坂診療所(東京都)所長の渡辺登氏は,ストレスチェック制度を活用しメンタルヘルス不調のリスク要因を低減させ,働きやすい職場を実現するために,産業医は職場と従業員の間の調整役を担うべきと同学術大会のシンポジウム「ストレスチェックにどのように取り組んでいくべきか」で発表した。
問題点を抽出し,解決に導く
初めに渡辺氏は,産業医は予防,主治医は診断と治療を担っていることを強調し,「産業医は,従業員が常日ごろから安心して働ける環境を整えることが重要」と述べた。
産業医は,高ストレス状態にいる従業員の訴えに耳を傾け,問題点を抽出することが重要な任務である。例えると,産業医は中立の裁判官,主治医は従業員の味方である弁護士の立場といえる。産業医はあくまで職場と従業員の調整役であり,勤務形態や適正配置,環境調整などについて事業主に助言する役割を持つ。
同氏は,産業医の面接指導が必要となる事例として,自閉症スペクトラム障害の傾向のある従業員が職場にいる例を挙げ,対応を検討した。このような従業員は上司の立場からすると,情報をため込み優先順位が付けられず,情報の伝達がうまくいかなかったり,落ち着きがなく周囲に迷惑をかけているように見えるという。
このような場合に産業医がなすべき当事者本人への工夫の提案として,自分が今,何に困っているのかを分析させるとともに,自己理解を試み,行動の特徴などを探り,対処方法と環境整備について考えるように導くことが提案された。
職場の同僚への対応としては,まず当事者についての理解が深まるよう説明に努める。次に当事者にとっての職務内容の適性を吟味し,環境整備やキーパーソンとなる人物のマッチングをする。問題を職場のみで抱え込まず,人事担当者や主治医,家族などが共有することも欠かせない。
同氏は「ストレスチェック制度の導入に当たっては,従業員の心の健康づくりへの関心を高める機会として,積極的に活用していくことが望まれる」と述べた。
出典元:(株)メディカルトリビューン Medical Tribune 2015年9月3日号 8ページより抜粋
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